フロイト雑感 (ある精神病者の手記)

*おれの知識と経験を気の向くままに書き留めておこう。*//

2017.05.02.04

どんな知識であろうと、現実で役に立つ知識
になるかどうかは、本人の知的態度、知的能
力、心がけ、心の癖、等々による。
                unknown

働いて恋愛していれば満足なのか。本能的な
言葉で言えば、食べてHする、だ。心の中に、
itのあるおれ、心のバランスが崩れ、自我が
不安定になっているおれには無理な話だ。it
とFatherが無意識下で争っている。itの方が
Fatherより強くなり、Fatherは自我に協力を
要請した。おれの心は社会に対して開かれれ
てはいなくなる。いくらかは社会に対して開
いているのだろうが、おれの頭は「いったい
何故、何のために。」という問いに鷲掴みに
されている。自我が強くなってFatherを助け
るしかない。
基本的にはFatherの力は社会的なものだから、
画像や音楽より強力な伝達手段としての言葉
に由来していると考えてよい。法律、契約、
規則、等々、だ。従って自我は、Fatherが持
っていない言葉、社会的なものだから、Fa-
therの力は一定と考えている、を求める必要
が在る、つまり個人の近親相姦願望の強さ、
itの強さ、と思われる。これは無意識の中に
ある。
フロイトには本論のような核の概念はない。
或いは必要としない。無意識が意識の中に出
ようとして前意識の中で検閲者に阻まれ、心
は平衡を保っている。無意識の中の意識にと
って不都合なある種の欲望は、検閲者の目を
盗んで、或いはごまかして、意識の中に侵入
する。意識は訳の分からない行動をとりはじ
め、日常生活に支障をきたす。無意識だから
意識は認識することができない。
フロイトは言葉の自由連想法によって、その
無意識を特定し、つまり言葉を与え、意識と
検閲者にそれを認識させる。特定された欲望
は再び、検閲者によって無意識の中に戻され
る。前意識も無意識の領域だから、検閲者も
意識は認識できないことは注意です。
この理論だと、心、本論では超自我と呼んで
いる前意識、の中に核は必要がない。従って、
核が空っぽ、つまりは無意識で満たされてい
る、なitは演繹できない。検閲者(超自我)と
無意識(ido)と意識(ego)の争いとなる。
フロイトは、エディプスコンプレックス(近
親相姦願望のタブー)の完成から出発してい
るからだろう。つまり、病気の人と病気でな
い人の精神構造は同じ、だと考えている。
ここから、本論とフロイトとの大きな相違が
出てくる。フロイトは転移を信じているが、
おれは信じていない。或いは必要としない。
転移による理解よりも数学による理解を重視
している。自我がitと争うために必要として
いるのは、この数学的な、論理的な、言葉だ。
それは、或いは、Fatherの言葉よりも、強力
になるかもしれない。Fatherが持っている言
葉では、itと競合できないからだ。。