フロイト雑感 (ある精神病者の手記)

*おれの知識と経験を気の向くままに書き留めておこう。*//

2017.06.01.03

心全体がLoveで満たされていなくても、
核がLoveで満たされていれば、核を超
自我の中に置くことによって、心は社
会に開けたものとなる。本来自我、ego
は開かれた社会での個人の価値観の中
心となる。つまり、Fatherとegoは言語、
法律文、契約書、教科書、等々、言葉
の体系である。
宗教書も科学書も、とりあえずは教科
書と呼ぼう。おれは18の時人生に迷
って、ついには狂気に陥ったが、そこ
から出てくる方法は、宗教書ではなく
科学書に習った。この辺りは病気の程
度、種類によって違うのだろう。もち
ろん、科学書でなければいけないとい
う事ではない。それは芸術論であって
もかまわない。閉じた心が社会に開け
る方法は一つではないだろうから。で
も、サラダ状態の言語を体系化する必
要はある、と思う。。